一本の木‐屋久島縄文杉トレッキング
12/22 鹿児島県屋久島
「私は一本の木を見る為に、こんなに苦労したことはない」
1975~ 長谷川 博史
午前5時起床。前日の土砂降りは小雨に変わっていた。
スウェードのコートと折りたたみ傘を持参して森に向かう。
森に入ると曇りの予想だった天気は無情にも土砂降りに変わっていった。
往復十時間と言われているトレッキング。平坦なトロッコ道を超えれば
手を付かなければ登れない悪路の急勾配が永遠に続く。
縄文杉に辿りついてランチを食べた後、今度は来た道を戻る。その時体に異変を感じた。
前々から階段や山を降りるときに右足の関節に痛みが走ることがあった。
しかし、今回は降り始めた瞬間両足の膝の関節に痛みではなく超激痛が走った。
どれくらいの痛みかといえば、階段を降りるたびに尋常じゃない痛みが突き抜ける。
一段一段を膝を持ち上げながら、激痛の痛みに声を張り上げる。体重を支えるのも辛い。
そのシチュエーションが眼下に永遠と続く。久美子は先を歩いている。冗談抜きで歩ける状態じゃない。
「久美子~助けを呼んできてくれ!!!」
と叫ぶような距離でもシチュエーションでもない。歩けば5時間後には到着できる。しかし、歩けない。
しかも、仮に誰か来たとしても、ある程度は自力で降りなければならない。
結局は自分一人でなんとかしなければならない。今までの人生でこんなに痛みを長く感じたことはない。
今まで四日間歩き通してエベレストを見に行ったこともあった。本来なら全く問題ないはずなのに。。。
外は土砂降りで、風は強く、そして寒い。3分その場にいれば瞬く間に体が冷えてくる。
さらに、17時までに帰らなければ真っ暗な森に取り残されることになる。
一番後ろにいたガイドも追い越していってしばらく経った。もう、時間的にも猶予もない。
その時に思った。
「そうか。俺は今日この場所で、こういう事を体験する運命だったのか」
それが『決まっていたこと』なら仕方ない。感謝して受け止めるしかない。
人間は辛い時、苦しい時、そこからいかに早く抜けるかだけを考える。
でも、自分にとって必要なことしか起こらないようになっているのだから
今の瞬間に感謝して、その意味を考えるべきなのだ。
「もうダメだ・・・」
それでも何度も何度も気持ちが折れそうになった。
そう思ったとき、
~ダメだと思ったとこから、もう一歩~
~一歩ずつ足を出してれば、いつかは必ずたどり着く~
そんな風に考え、突き抜ける激痛に耐えながら、
足が体重を支えられないので木を掴み、曲がらない足を引きずり一歩ずつ降りた。
そして、出発から10時間10分。日が落ちた頃ようやく出発地点にたどり着いた。
やりきった達成感と同時に、疲労が一気に降りかかる。
その夜、老人にも問題のないスーパーの20cm位の高さの階段を一段登るのに、
地面に手を着かなければ前に進めず、わずか6、7段の階段に5分以上費やした。
スーパーの人から見たらとても不思議な光景だっただろう。
一本の木を見に行く事が目標だった今回のトレッキング。
人生で一番長い痛みを味わうことになった。だから杉がどうのというよりは
森の中での「自分との対話」が何よりも思い出になった。
究極の痛みから生まれる新しい自分。
地球も痛みを伴いながら生まれ変わっていく中で
森の神様がそんな素敵なプレゼントをくれたんだろう。
Happy New World