家族の思い出
9月20日Beverly Hills Hotel
他人事だと思ってる人は自分の事になり、自分の事だと思ってる人は他人事になる。
白い巨塔から見る人間関係考察
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~家族の思い出~
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コロンボでの療養暮らし。「大都会だから和食あるかもね」「焼肉だ~!!」と
盛り上がってみたもののそんなものはない。さすがにカレーは拒否反応を起こしてるので
毎日パンと炒飯か焼きソバ。そしてフルーツ。圧倒的に野菜が足りない偏った食事。
プラス早く「傷を治したい」と言ったからなのか、海外の薬が強いからなのか
抗生物質で胃が重く食欲不振。食事も油っぽいものばかり。。体もダルイ。
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和食はあるにはある。ヒルトンに入ってるような日本と同じ値段の店。
それじゃちょっと気が引ける。必死に検索するとリーズナブルな和食屋を発見した!
頭の中に色々なメニューを駆け巡らせ、ハイテンションでトゥクトゥクに乗り込んだ。
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流れる演歌の音。畳。刺身に日本酒。ああ、ジャポン。最高だよね。
よく人に「男っぽいね」と言われたり、親からも「あんたは古風な男だよね」と言われるけど
考えてみれば男気溢れる人に囲まれ、演歌が流れる環境で育ってるんだよね。
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親父が酒好きだったから、釣りに行った帰りとか、どこかに行ったときには
必ず居酒屋に寄っていた。子供だったから早く帰りたいんだけど、なかなか帰れないから
その辺で寝転がりながら、酒臭いのに耐えていた。その臭いがガキの頃嫌でね・・・。
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また、歌を歌うのが好きな家庭だったから来客があれが家の中で手拍子で歌う。
盛り上がればススキノに繰り出してスナックで歌う。親父は自分が死んだら
「葬式はコンパニオンを呼んで、カラオケ歌って盛大にやれ」と言っていた。
さすがにコンパニオンは呼べなかったけど、カラオケやったら苦情きたよね。
まあ、そんな感じでいつも酒があり、たくさんの人がいて演歌が流れる環境で育った。
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この演歌のリズムっていうのがまた日本独特なんだよね。
なんていうの?日本じゃ聞かないし歌わないけど、海外暮らしが長いと染みるんだよね~。
いや、そろそろ歌う年代になってきたのではないか?口ずさむと妙にしっくりくるし。
そういえばトルコに似たようなリズムの曲があったな。トルコ人は酒飲みながら涙して聞くんだってさ。
店内に流れる氷雨、雪国、津軽海峡雪景色。「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました・・・」
こういう繊細な感性は日本人じゃなきゃわからないだろうな~。
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雪国か・・・。ミョンドンのカラオケ屋のママ思い出すね。
旨い物を食べながら、オチョコ片手に遠く離れた仲間の事を思い出したり、
人生や夢について語ったり、こういう時間が一番楽しい。自分らしいひと時。
臭くて嫌いだった酒の臭い。ダサいと思っていて聞かなかった演歌。
親父がやっていた事を気付いたら俺も好んでやるようになってた。
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生きてたら久美子合わせたかったな。聞き上手だし、酒も飲めるし笑顔だし
きっと親父にすごく好かれただろうな。それだけが残念だ。
昔は飲んでても、話も聞かないし、途中でぶつかって席を立つ事ばかりだったけど
今だったら男同士どんな事を話すんだろう・・・?
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「男は男に惚れられるような男になれ」って何万回聞いただろう?
「お前なんでそんな風になってしまったんだ?」って言われた事もあったな。。
「俺が死んだ後、お母さんを頼むな」って言葉もよく聞かされた。
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今なら多少マシな話もできただろうし、少しは見てきた世界の話もできると思う。
でも、答えがないからよかったのかも。それでずっと心の中で対話し続けるだろうから。
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ありがとう。今、俺ら最高の旅してるよ。